自由主義と民主主義

    グローバル化の進展に伴い、各国で反グローバリズムの運動が勃興しています。各運動は、各々大義名分を掲げており、個別の検討は控えますが、大きな潮流として、民主主義の復権が叫ばれています。グローバリズムの名の下、各国の経路依存的な規制が平準化する中、各国の歴史や文化を反映した制度が失われるとか、国民的な連帯を基礎とする福祉国家的な制度が失われるとか、種々の主張が見られます。

 一方、グローバリズムの背景には、自由主義思想があるとされています。自由主義という考え方には、種々の論者がおり、説明するのは非常に難しいのですが、大きな特徴として、普遍主義的傾向が見られ、人権や法の支配、立憲主義といった思想が中核をなしています。誰であれ、人として生まれた以上は、個人として尊重され、自由が保障されるべきで、国や地域、歴史によって左右されるべきではない、ということでしょう。

 第二次大戦後、上記の二つの思想は、和解の時代を歩んで参りましたが、今ではそれがつかの間の和解であったことが明らかになりつつあります。

   そこで、まずは、この二つの思想の歴史を大まかに紹介してみたいと思います。

    人類史において、自由主義の思想的影響はすさまじく、資本主義市場経済との相性も抜群でした。所有権や私有財産制といった構想は、人間社会の巨大化、科学技術に関する知識の爆発的増加をもたらしたと言っても過言ではないでしょう。

    一方、民主主義という思想には常に戦争がつきものでありました。比喩的な表現になりますが、戦争を遂行する上で勝利のために多くの人民を動員する必要があったため、戦後、戦争に動員された者に対して参政権を付与して、その労に報いてきたわけです。

    このように、両思想は本来、当然にセットになるものではなく、互いに影響を及ぼしながらも、独自の歴史を歩んできたのです。これが、世界大戦を経る中で、自由主義陣営が戦争に勝利することで、思想的に合流していきました。自由主義陣営も、多くの国民を戦争に動員したため、民主主義的な要請に応じざるを得なかったのでしょう。ここに自由民主主義が確立し、階級的には、自由主義を担うエリートと民主主義の主役である大衆の和解がなされたのだと思います。

    私が和解という表現を用いたのは、自由主義と民主主義の双方に譲歩があったと思うからです。多数決で覆せない人権の領域と多数決で決めるべき領域を調整したのです。このような調整ができたのは、エリートにも大衆にも世界大戦は二度としたくないという共通の目標があり、そのために、互いに譲歩をして、各領域を設定したのです。

    その後、戦後社会では、両思想が互いに影響を及ぼし合い、越境を開始します。例えば、社会的自由と言われる自由権は大衆の豊かな生活という民主主義的要請にも支えられていましたし、競争主義的な立法も国会の多数決を経たはずですが、自由主義的要請にも支えられていました。

   和解の時代に自由主義と民主主義の越境が生じた理由は様々あると思いますが、背景の一つには、大衆のエリート化、エリートの大衆化ともいうべき現象があったと思います。人類史上まれに見るほど多くの人間が大学に通い、高等教育を受け、上流階級へと上昇する機会を保障されていたのです。大衆が大学などのエリートの領域に大挙して出現し、混ざっていったのです。人が混ざれば、思想も混ざり、越境も生じたのではないでしょうか。

    さて、現代に話を戻します。

    このように考えると、現代において、民主主義と自由主義に分断が生じるようになったのは、大衆とエリートの双方が譲歩できなくなっているからのように思えます。

    まず、現代で世界大戦が生じる可能性は低く、どこか、歴史上の問題のように感じている方も多いのではないでしょうか。テレビやネットで各地の紛争が報じられても、他人事のようにしか感じない、というのが本音の方も少なくないと思います。現代の国際社会では、世界大戦を開始するコストはあらゆる側面から見ても、とてつもなく高いものとなっており、放っておいても世界大戦には至らないだろうと、世界大戦回避という共通目的の現実味が失われているのです。

    また、大衆とエリートの間の意識としても、和解の機運が失われているように思われます。大衆はエリートに不審を抱いていますし、エリートも大衆に対して諦観にも似た境地にあるように見えてなりません。結局、貴賤を問わず、みんなが死ぬような思いをしたということが、両者の相互理解の唯一の寄る辺だったのでしょうか。

    このような現代社会において、再び民主主義と自由主義が手を携えるには、どのような方法があるでしょうか。そもそも、手を携える必要などないという方もいるかもしれませんが、そういった議論は別の機会にするとして、次回以降では手を携えるための条件を考えてみたいと思います。