スポーツ

   新型コロナウイルスの影響で一時下火になりましたが、最近では、日本におけるスポーツの位置付けが変化しつつあります。観戦する対象から体験する対象へと変化しました。非日常的な祝祭行事から日常的な生活様式の一部へと変化したということもできるでしょう。今回は、スポーツに詳しくない、運動音痴の私からみた現代スポーツについて考えてみたいと思います。

 私から観れば、上記のような変化の背景には複合的な要素があるように思います。高齢化社会を迎え、健康寿命に関心が集まる中、日常的に運動をすることで疾病を予防しようということで、中高年を中心に、スポーツジムに入会したり、ランニングをしたりすることが一般的になってきました。また、現役世代においても、スポーツをすることはかっこいいこととして受け止められるようにもなっていますし、情報技術の進歩により、身体をマネジメントすることが容易になりました。中高年も現役世代も、「身体は資本」「スポーツをすることも日々のエンタメ」という認識から、運動が日常化したといえるでしょう。

 一方、競技としてのスポーツ、観るスポーツにおいても、変化が訪れています。かつてはアマチュアスポーツこそがスポーツの主要部分でしたが、プロスポーツの領域が膨張し、商業化していきました。巨額のマネーが流入するほか、新技術の実践の場としても利用されているように思います。サッカーや野球、オリンピック競技など、巨額の資本が注入された種目では、最新の情報技術を用いて、これまで「センス」「運動神経」という抽象的な言葉で片付けられていた項目を次々と可視化し、新たな戦術を日々生み出している状況にあります。

 ほかにも、プロスポーツ選手はアスリートと呼ばれるようになるとともに、高い倫理観やプロ意識を要求されるようになりました。書店でも、破天荒な名物選手の武勇伝よりも、リーダーシップやストイックさ、フェアプレーを語る啓発本の方が、よく目に止まるように思います。特に、日本では、「体育会系」という言葉にもあるように、先輩や監督からの命令に絶対に従う気風がありましたが、昨今では、ハラスメント撲滅の観点から、そのような上下関係のようなものを駆逐しつつあるように思います。

 おそらく、これら、観るスポーツとするスポーツにおける変化は、学校での部活動や課外のスポーツ少年団の活動にも大きく影響していくことになると思います。つまり、競技としてのスポーツにおいては、テクノロジーとマネーの影響は不可避でしょうし、アスリートへの倫理的な教育も施されるようになると思います。また、ライフスタイルとしてのスポーツにおいては、いかにして持続可能なものとするか、日常化するか、という点に関心があつまるでしょう。スポーツ少年団も、二極分化していくかもしれません。

 もっとも、観るスポーツにもするスポーツにも横断的に影響を及ぼす要素としては、少子化をあげることができます。少子化が進めば、競技人口・観客数が絶対的に減少することになります。観客の方は、情報通信技術の進展により、全世界を相手にするようになるので、大きな変化にはならないかもしれませんが、競技人口の減少はスポーツのルールなどに影響を及ぼすようになるでしょう。単純に、人が減れば、集団的なスポーツよりも、個人種目の方が取り組みやすくなると思います。

 スポーツが拡大することで、経済・法の論理もスポーツに侵入していきます。商業面だけでも、経済法、労働法、知的財産法、電波関連法制などとの関連も増していくと思います。スポーツの日常化によっても、個人の情報を継続的に収集する各種健康アプリなど、情報の利活用の問題と直面することになります。スポーツに関与する人の割合が増え、普遍性が高くなれば、法的問題が増えるのは当然と言えば当然なのですが、日本人の多くは、スポーツと法がアンドでつながれることに違和感を覚える方も少なくないのではないでしょうか。

 社会化するスポーツにおいては、様々なスポーツ論が提出されているところです。経済なり、法なり、テクノロジーなり、皆さんの好きな切り口でスポーツを見直してもよいかもしれません。

 駄文失礼いたしました。