経済によるアソシエーションの再生

 前回が生産の話でしたので、今回は消費の話をしてみたいと思います。

 現代の消費社会では、モノからコトへということが言われています。モノがあふれた現代では、モノよりもコトの方に消費者は魅力を感じている、ということのようです。ブランド品や自動車を購入するよりも、お気に入りの著名人のイベントやキャンプに足を運ぶのです。

 一方、コト消費においては、コミュニティ・アソシエーションが形成されつつあるように思います。モノ消費を促進した市場経済システムにおいては、供給者と需要者で価格が一致すれば、誰でも取引できる、自由で公平な社会が理想とされました。そこでは、個人は匿名化され、アイデンティティは半ば消失しており、コミュニティがないことによって村八分にも合わないという長所がありました。

 ところが、近年のコト消費においては、フィンテックの文脈ではありますが、ファンクラブやオンラインサロンなど、コミュニティ・アソシエーションが発生しています。海外では、日本ほどオンラインサロンが流行っていないかわりに、クラウドファンディングがより一般的です。海外では日本と異なり、寄付文化が根付いているため、オンラインサロンのような「お月謝制」をとらずとも、クラウドファンディングで資金などの調達ができる素地があると言われています。

 コミュニティ・アソシエーションが生まれることによって、物語が生じ、コト消費は充実していきます。物語は、事実を意味づけする作業ですが、コト消費におけるオンラインサロンでは、メンバーが物語を紡いでいることに自覚的になれる点が特殊です。モノ消費自体にも、モノに物語性があったわけですが、モノが与えてくれる物語は、往々にして、購入者が授かることが多く、購入者自らが発見し紡いでいく物語とは一線を画す、無自覚なものだったように思います。

 そして、コト消費が一般化すれば、コト消費とコト消費を結ぶエコシステムに価値が生じるようになるでしょう。モノ消費の時代にもエコシステムはあったわけですが、コト消費ではより自覚的な物になると思いますし、コミュニティ・アソシエーション同士のブリッジングが鍵になると思います。

 このようにして生成されたコミュニティ・アソシエーションとエコシステムは、トクヴィルが指摘する、中間的組織になれる可能性があります。中間的組織が復権すれば、健全な民主主義社会に回帰できるかもしれません。長期のスパンで考える必要がありますが、自由主義優位の和解においても、健全な民主主義は重要ですし、各主義の担当領域は可変的なものですから、民主主義が健全なら、民主主義の担当領域も見直すことができると思います。

 消費という経済的要素から、民主主義という政治的要素を再構築できるのか。経済が肥大化した現代だからこそ、挑む価値のある構想に思えます。

 駄文失礼いたしました。