共同体について

 都市集中と地方過疎の進行が指摘されて久しくなりました。そして、今後は地方の少子高齢化と相まって、地方社会に深刻な影響が生じるとされており、共同体の維持ができなくなるとされています。特に、インフラは深刻で、ライフラインであるはずの水道・電線の維持すらできなくなると言われています。
 インフラを維持できない原因は大きく二つあるようで、一つは、過疎地は分散しており、インフラを維持するコストが莫大であるのに対して、利用者が少なく、収益化が難しいことを指摘するもので、もう一つは、インフラ設備の老朽化やインフラ保全の人材不足を指摘するものです。
 これらに対する対策としても、大きく二つの方向性があるように思います。一つは、ITやAI、ブロックチェーンといった科学技術で解決しようとする方向と、もう一つは、富の再分配で解決しようとするものです。私は科学技術にも経済学にも疎いので、各論者の意見の是非をコメントすることはできませんが、いずれにおいても、共同体とは何か、ということが問題になっているようなので、このことを考えてみたいと思います。
 まず、科学技術による解決の文脈でいわれる共同体論は、収益化と関連するもののように思われます。いわば、「限界集落」を情報技術によって「スマート集落」にアップデートし、収益化を図るというものです。もっとも、「スマート集落」においては、「スマートシティ」同様の問題があり、私としては個人情報の利活用に関する問題に興味があるところですが、ここでは、民間企業の参加確保の問題について考えてみたいと思います。
 第一に、集落の一定程度の永続性という意味からは、民間企業にプラットフォーマー的な参加をされては困ります。プラットフォーマーの恐ろしさは、マイクロソフトのソフトウェアの更新打ち切りなどで、われわれが日々感じているところです。つまり、プラットフォーマー側の一存で、インフラサービスが突然終了してしまう仕組みにするわけにはいきません。
 第二に、都市工学は総合政策ですので、多くの企業やメーカーの参加が必要になります。ゼネコンだけの参加では意味がなく、インフラ各社、小売業者、モビリティ企業など、多くの民間企業の参加が必要になります。
 このように、継続的かつ多数の企業の参加をいかにして確保するか、いわば、企業も含めた共同体づくりをいかにすればよいのか、という問題があるのです。これについては、ブロックチェーン技術を使って、企業を含めた住民全員にメリットがあるシステム設計をできないか、という提案もあるようです。ただ、直感的に言って、ブロックチェーンとして経済的価値を有するには、多くの利用者が必要であるように思われ、結局、いかに多数かつ継続的な参加者を確保するのかという、最初と同じ問題に帰着するように思います。鶏が先か、たまごが先か、コインの裏表なのではないでしょうか。裏を返せば、ブロックチェーンは共同体の特徴の一端をよく表しているのかもしれません。
 さて、次に、富の再分配による解決でいわれる共同体論ですが、これは、日本全体を大きな共同体とみて、都市から過疎地への富の移転を想定しているようです。これを実現するには、企業も含めた日本国民全体において、過疎地への再配分を容認するコンセンサスを形成する必要があります。つまり、日本国全体が、日本国全体を共同体とみることができるのか、具体的には、日本国全体が、限界集落の未来に継続的な利害関係があると思えるのか、という問題が生じており、ここにおいても、共同体とは何かという問題から逃れることはできません。
 では、共同体とはなんなのでしょうか。共同体は目に見えるものではありませんので、構成員が共同体だと思うことができれば、共同体がある、ということになります。
 もっとも、構成員にとって、共同体があると思うためには、ある程度の社会的実体が必要でしょう。自然科学的な根拠はないにしても、構成員がなんとなく共同体があるといえるような状態ではある必要があります。代表的な要素としては、財やサービスの共用性と意識の共同性で、これらが高度なほど、構成員としては継続的な利害関係があると思えるような状態であるといえるでしょう。
 結論として、科学技術による解決にしても、富の再分配による解決にしても、文脈に差はあれども、共同体を考える上では、共用性や共同性という論題と無縁ではいられないのです。
 駄文失礼しました。