法の縮小? 法の過剰介入?

    昨今、「法の縮小」という指摘がなされる一方で、「法の過剰介入」という指摘もなされるなど、一見矛盾する指摘がなされているような感覚を覚えます。前者は、論者によって差はあるものの、共通する内容としては、「AIやICTといった破壊的技術革新の時代にあって、法律では社会の変化に対応できず、法律に期待される役割を果たせないため、法律以外の方法で紛争に対処しようとする傾向のこと」を指しているようです。一方、後者は、これも論者により差はあるものの、共通する内容としては、「複雑な現代社会においては、本来、私人や社会が自律的に対応してきた分野にまで、国家が法律を根拠に介入していく傾向のこと」を指しているようです。

 これらは、本当に矛盾する指摘なのでしょうか?

    私見としては、近代から現代に社会が変化する中で、法の領域が変化していることと関係があり、両者は矛盾する指摘というよりは、現代社会における、「法」と「コード」(規格)の領域の見直しというべきでしょう。

 まず、「法の縮小」から見ていきましょう。念頭に置かれる主張は、現代の課題解決には、「コード」(規格)が多用され、法が解決策を提示できていない、というものです。例えば、知的財産分野などで指摘されるものとして、法でいくら著作物の複製を禁じても、インターネット上には違法な複製が溢れている現実があり、これに対処するには、法では十分に対処できず、技術に関する原則やガイドラインを定め、業界団体や国際団体が規格化し、そもそも違法な複製ができないようにするほかないというものです。

 では、「法の過剰介入」はどうでしょうか。代表的には、国家が福祉政策や産業政策を策定し、社会や家庭、市場の自由に介入しているというものです。現代社会では、市場の失敗に起因する経済的格差に対処すべく、外交・安全保障・治安維持以外の分野においても、国家が法を根拠に介入してきました。例えば、各種社会保障立法、労働立法、独占禁止立法、消費者立法などです。このような法分野では、社会の不平等を前提に、劣位者を保護する価値判断がなされています。

 両者に共通する視点は、理想としての近代法の前提である、自由かつ自律的で対等な個人による自律的な市民社会というものがなりたたないことを、受容しているという点です。「法の縮小」の視点では、建前上、自由で自律的な個人に差し止め請求権や損害賠償請求権を認めたところで、高度情報化社会では、実質的な意味での権利救済は実現されないことを自覚し、「ガイドライン」や「〇〇原則」などにもとづく「コード」で対処していますし、「法の過剰介入」の視点では、そもそも劣位に置かれる当事者に特別の法的保護をあたえるという価値判断をすることでこれに対処しています。両者とも、もはや、現代が、理想的な近代法の領域では対処できない社会になってしまったことを理解しているのです。

 では、両者で異なる視点とは何なのでしょうか。私の立場からは、司法機関による権利救済の実効性に対する、認識の違いがあるように思います。前者においては、社会の変化のスピードが速すぎるので、司法的救済では間に合わないと考えて、事前に「コード」を作成して予防的に迅速な対処をしようとしているのに対し、後者においては、司法機関が社会の変化に合わせて保護を実質化していくべきと考えて、法文上の権利保護を拡張したうえで、個々の裁判等を通して漸進的に対処しようとしている、という指摘は一応できるように思います。

 もちろん、実際の「法律」や「コード」の規定は多様であり、上記のような安易な一般化では説明できない部分もあります。

 以上の検討からすれば、「法の縮小」と「法の過剰介入」は、対立する思想というよりは、法の現状を異なる視点から指摘するものなのだと思います。両者とも、現代社会が理想上の近代社会とは異なることを受け止めたうえで、現代型「コード」が多用されていることと多くの「特別立法」がなされていることとを、それぞれ指摘しているというのが正しいのでしょう。

 なお、過去にも、法は、規範を具体化するにあたり、「社会通念」のもと「社会常識」といわれる「コード」を参照してきましたが、現代の「コード」は「社会常識」とは生成される過程が異なるように思います。勇み足で乱暴な表現ですが、かつては、市民全体で、漸進的に、何となく、抽象的な、「社会常識」という「コード」を不文の形態で作り上げてきましたのですが、現代では、供給者団体や需要者団体、官庁などの特別な利害関係を有する当事者らが、(将来)社会通念上妥当(になる)と思われる「〇〇原則」「〇〇規格」「〇〇ガイドライン」という「コード」を明文の形態で具体的かつ迅速に作るようになった社会、ということなのでしょう。

 まだ、あまりまとまっていませんが、朝令暮改ブログなので、投稿してみました。また、考えてみたいと思います。

 駄文失礼しました。